揺らぎの定理

揺らぎの定理は,ある任意の過程(あるいは軌道)\Gamma \colon \{ x(t_1)=x_1, x(t_2)=x_2 \cdots x(t_L)=x_L \} とその逆過程 \Gamma^* \colon \{ x(t_1)=x_L^*, x(t_2)=x_{L-1}^* \cdots x(t_L)=x_1^* \} に対して,それらの生起確率の間の関係が  \begin{align} \frac{p(\Gamma)}{p(\Gamma^*)}=e^{\frac{\Delta S}{k_B}} \end{align} \tag{1} であるということを主張するものです.ここで, \Delta S は過程  \Gamma におけるエントロピーの増加量です.*1

揺らぎの定理から,例えば e^{-\frac{\Delta S}{k}} の平均値 \langle e^{-\frac{\Delta S}{k}}\rangle \begin{align} \langle e^{-\frac{\Delta S}{k}}\rangle = \int e^{-\frac{\Delta S}{k}} p(\Gamma) d\Gamma = \int p(\Gamma) d\Gamma = 1 \end{align} \tag{2} であることが分かります.ここで,d\Gamma は全軌道空間上に取った確率測度で,全空間での積分1としています.Jensen の不等式より  \langle e^{-\frac{\Delta S}{k_B}} \rangle \geqq e^{\langle -\frac{\Delta S}{k_B}\rangle } ですから,(2)は  \langle \Delta S \rangle \geqq 0 となり,熱力学第二法則が自然に導かれます.
(2)から分かるように,熱力学第二法則は無数の過程の統計平均について述べています.それに対して(1)は一つ一つの微細な過程間の定量的な関係について述べる,極めて根本的な表現です.

揺らぎの定理は以下のように考えることができます.

時刻  t_1,t_2\cdots の間隔を限りなく小さくできるものとします.
 \begin{align} \frac{p(\Gamma)}{p(\Gamma^*)}=\frac{p(x_1,x_2\cdots x_L )}{p( x_L^*,x_{L-1}^*\cdots x_1^* )}=\frac{p(x_L | x_{L-1})\cdots p(x_2 |x_1)p(x_1)}{p(x_L^*)p(x_{L-1}^* | x_L^*)\cdots p(x_1^* | x_2^*)}\end{align}\tag{3}
と表しておきます.p の中の変数は,時間順に並べています.

微小な状態変化過程とその逆過程との間に詳細釣り合いが成立すると仮定すると, p(x_n, x_{n+1})=p(x_{n+1}^*, x_n^*) より  \begin{align} \frac{p(x_{n+1} | x_n)}{p(x_n^* | x_{n+1}^*)}=\frac{p(x_{n+1}^*)}{p(x_n)}=e^{-\frac{\Delta E_n}{kT}}=e^{\frac{\Delta S_n^{e}}{k}} \end{align} \tag{4}と表せます.ここで,T は系が接している熱浴の温度で, \Delta E_n x_n \rightarrow x_{n+1} における系のエネルギー変化です.従って  -\Delta E_n は逆に熱浴が受け取る熱量となり,熱浴のエントロピー変化  \Delta S_n^e を導きます.ただし,ここでの議論が,局所平衡の前提に基づいていることには注意する必要があります.

一方,\begin{align} \frac{p(x_1)}{p(x_L^*)}=e^{\frac{s_L - s_1}{k_B}}=e^{\frac{\Delta S^i}{k_B}} \end{align}\tag{5} が成り立ちます.s_n は状態 x_n の微視的エントロピーです。また,\Delta S^i は系の微視的エントロピーの増分を表しています.

(4),(5) を (3) に代入し,最終的な熱浴のエントロピー変化を  \Delta S^e = S_1^e+S_2^e+\cdots +S_L^e,系と熱浴を合わせた全体系のエントロピー変化を \Delta S = \Delta S^i + \Delta S^e と書くと,揺らぎの定理(1)が妥当であることが分かります.

Jarzynski 等式

揺らぎの定理(1)からは,系のヘルムホルツ自由エネルギーFと系に加えられた仕事Wとの間で成り立つ,Jarzynski等式と呼ばれる次の関係を導くことができます.
\begin{align}
\langle e^{-\beta W} \rangle = e^{-\beta \Delta F} \tag{6}
\end{align}
Jensen の不等式から \langle e^{-\beta W} \rangle \geqq e^{-\langle \beta W \rangle} が成り立ちますから,(6)は \Delta F \leqq \langle W \rangle となります.系の自由エネルギー増加は加えられた仕事以下になり,逆に \Delta FW が負である場合を考えると,系から取り出せる仕事が自由エネルギー以下になることが分かります.これらも,熱力学第二法則を与えています.

さて,(6)を導出するために,系の最初の状態を x_1,最後の状態を x_L とします.これらの間を結ぶ(拘束された)軌道を \tilde{\Gamma} と書きます.
系の最初と最後の状態が確定していますから,この場合揺らぎの定理は
\begin{align}
\frac{p(x_L, \tilde{\Gamma} | x_1)}{p(x_1^*, \tilde{\Gamma}^* | x_L^*)}=e^{\frac{S^e}{k_B}} \tag{7}
\end{align}
と書けます.
状態 x における系の内部エネルギー U(x) ,系に与えられた仕事 W とすると,W=U(x_L)-U(x_1)+T\Delta S^eです.
これらから,e^{-\beta W} の統計平均 \langle e^{-\beta W} \rangle を計算してみます.
\begin{align}
\langle e^{-\beta W} \rangle &=&\int dx_1 dx_L d\tilde{\Gamma} e^{-\beta (U(x_L)-U(x_1)+T\Delta S^e)}p(x_L, \tilde{\Gamma} | x_1)p(x_1) \\
&=& \int dx_1 dx_L d\tilde{\Gamma} e^{-\beta (U(x_L)-U(x_1)+T\Delta S^e)}p(x_L, \tilde{\Gamma} | x_1) \cdot \frac{e^{-\beta U(x_1)}}{Z(x_1)} \\ &=& \int dx_1 dx_L d\tilde{\Gamma} \frac{e^{-\beta U(x_L)} }{Z(x_1)}p(x_1^*, \tilde{\Gamma}^* | x_L^*) \\
&=& \int dx_L \frac{e^{-\beta U(x_L)} }{Z(x_1)}=\frac{Z(x_L)}{Z(x_1)}=e^{-\beta \Delta F} \tag{8}
\end{align}
1行目から2行目に移るのに,最初の状態 x_1 が平衡状態であることを仮定しました.これは非自明な仮定です.2行目から3行目では(7)を用いています.最後に,自由エネルギーと分配関数との関係 -\beta F = \log{Z} を用いて自由エネルギーの形に書き換えました.

※追記予定

*1:https://www.jps.or.jp/books/gakkaishi/2014/10/69-10trends1.pdf